浄土真宗のご本尊
 

ご本尊を好みや観賞の眼で気に入ったものを買うと言うのは、信心の世界から大きく踏み外しています。

ご本尊を拝するという事は、如来さまの誓願に疑いなく帰依する行為です。

浄土真宗のご本尊は『阿弥陀如来』です。その他の仏さまは一切安置しません。

「弥陀一仏」と言われる所以です。

正面には、阿弥陀如来の尊像または六字名号、右側に宗祖親鸞聖人の御影、または十字名号、

左側には蓮如上人の御影、または九字名号を安置すると、取り決められています。正しく拝したいものです。

お仏壇を求められると、仏さま(ご本尊)も付いていると勘違いしているお方があります。

お仏壇を求められることは、ご本尊をいお迎えすることです。にもかかわらず「ご本尊も付けておきましたから・・・」では、サービス品か、
付録の様に扱われていることになります。

礼拝の対象である仏さまは、ご本山からお受けいただくことが大切です。

ご本山からご本尊を希望される方は、ご住職に相談してください。

蓮如上人五百回遠忌記念法要でご門主さまが「故郷から離れ、都会で暮らしておられるご家庭も、ご仏壇を安置してください。」
とのご親教を述べられました。

備後教区備中里組でも、このご親教をふまえ、分家されたご家庭にもご仏壇を安置するよう呼びかけていきたいと思います。

分家されたご家庭もご本尊を本山から受けられ、ご仏壇を安置して、朝夕に家族そろってお参りし、手を合わせる日暮らしが願われるところです。

形は心を顕し、心が形に顕れていきます。

仏さまに見られ、聞かれ、知られていることを心に、毎日の日暮らしを心がけましょう。

 お仏壇を安置した息子

おじいちゃん自慢の次男坊が世帯を持って二十年近くになります。

その息子ととの最近の電話のやり取りの中で思わずおじいちゃんの胸が熱くなる会話になりました。

息子は小さなお仏壇を購入したと言うのです。

実は数年前、息子が今の住まいに転居した時、おじいちゃんはお仏壇の購入を強く勧めましたが、その時は気乗り薄だったのに、
今になってお仏壇の意味がわかった、と言うのです。

お仏壇を中心にしてやっと「家」というものがこんなにどっしりと落ち着いたものか、と思い知ったと言います。


 分家にもお仏壇を

長男の家にお仏壇があれば、次男・三男の家には無用といった奇説に惑わされて購入しない・・・と言うこと
を聞きます。

この奇説によると、次男・三男が仏壇を持つと「先祖が行き迷う」と言うのです。「せっかく長男の家に先祖が落ち着いているのに、
次男・三男の家にまで仏壇があると、うろうろしなければならないではないか。」・・・と言うのです。

しかも、この奇説を補強するのが、なんでもない時にお仏壇を迎えると「新仏が出る」と言う、まことしやかなささやきでしょう。

これらの俗説を通じて言えることは、お仏壇に対する基本的な誤解でしょう。つまり、お仏壇は死者の入物というあやまった解釈に立っているのです。

だから、入れ物を求めた以上は、中身(新仏)を入れなければならないと言う幼稚なおどしに、むやみにおびえなければならないのです。

言うまでもなく、お仏壇は「死者や先祖の入れ物」でなく、「ご本尊・阿弥陀如来様のお館」です。

浄土真宗の門徒としての日常生活の心の拠りどころです。

古い文献には、「家に仏を置いたと考えてはならない。家の主としてお給仕せよ」と指示されてあります。

このような尊い生活は、なにも長男だけに限ることはありません。次男・三男が新居を構える時は、何においても家族の心が一つになる事のできる場所、
一家の「心の生活」の中心であるお仏壇を安置いたしましょう。